スポンサーリンク

その論破合ってる?正しい反論の仕方-誤謬を学ぼう-

注目記事

議論をする上で発生する問題

近年、ツイッターを中心としてさまざまな意見のぶつかりあいが巻き起こっています。

政治批判的な主張に対する反論、悪ふざけに対する意見、芸能人に対する批判などSNSでは議論の話題に事欠きません。

人によって信念とする思想や正しいと思う常識が違うのは当然のことですから、意見が分かれ議論が起こることもまた至極当然のことです。

しかしなかには反論として適切でないもの、議題からは大きく外れた見当違いの反論がされることも少なくありません。

今回はそんな現状を鑑みて、間違った反論の仕方についていくつか紹介していきます。

ぜひ参考にして、適切な反論ができるようになっていただければと思います。

わら人形論法

英語ではストローマンと呼ばれる、誤った論法のひとつです。

まず用例を見ていきましょう。

X:私は雨の日が嫌いだ。
Y:もし雨が降らなかったら干ばつで農作物は枯れ、ダムは枯渇し我々はみな餓死することになるが、それでもX氏は雨など無くなったほうが良いと言うのであろうか。
(引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3

この用例の場合、Xは「個人的な感情として」雨の日が嫌いだ、ということだけを述べているのにYはXが「雨が嫌いだから無くなってほしい」と言っていると過剰な解釈をしてまったく見当違いの反論をしてしまっています。

A:公共の場での喫煙は禁止すべきだ。もし公共の場での喫煙を認めれば周りにいる喫煙する意思のない人にまで害を及ぼすからだ。タバコの副流煙が有害であることは言うまでもない。
B:喫煙を禁止するなんてとんでもない。確かに喫煙は有害だが、喫煙者はそれを了解の上で吸っている。有害なもの、危険なものを禁止すべきというならバンジージャンプや登山も禁止すべきということになる。彼らも紐が切れる危険や遭難、滑落の危険を了解した上でやっている。できるだけ自由を認める社会であるべきだ。

ここでAが主張しているのは「公共の場での喫煙の禁止」です。

それに対してBは「喫煙そのものを禁止すること」に反論しています。しかしAは「喫煙を禁止すべきだ」とは一言も言っていません。

したがってAの主張と、Bが反論する主張はまったく別物なワケです。

このように、相手の主張とは異なる主張をあたかも相手の主張であるように取り上げてそれに反論する論法を「わら人形論法」と言います。

「わら人形論法」を無意識にでもしないようにするには、まず相手の言っていることだけに注目して「相手が何に対してどんな意見を持っているか(賛成か反対か)」を理解するよう努める必要があります。

もちろん意図的に相手の意見をねじまげて攻撃することはあってはなりません。

「真の○○」論法

この論法は明確に名前が決まっているものではありませんが、仮に「真の○○」論法とします。

A:スコットランド人の男は優しい。妻に手を上げるなんてことは決してない
B:でもこの前、スコットランド人のアンガス・マクスポーランさんが妻へのDVで逮捕されていたよ
A:いや、真のスコットランド人ならそんなことは絶対にしない!(彼は真のスコットランド人ではなかっただけだ!)
(引用:トニーホープ『医療倫理』岩波書店)

Aは「全てのX(スコットランド人男性)はY(優しい)である」と主張したので

Bはこれに「XではあるがYではない」という反論を挙げます。この反論に問題はありません。

しかしこれにAは「真のXはYである」ともとの主張を修正し、自分の言いたかったことは概ね正しいとしました。

ここで問題なのは「真の○○」とは何なのかしっかり定義されていないことです。

もし「妻に手を上げないスコットランド人男性」が「真のスコットランド人」であるならAの最後の主張は

「妻に手を上げないスコットランド人男性が決して妻に手を上げない」という中身の何もない主張になってしまいます。

「真のスコットランド人」についてしっかり定義できればこの反論にはなにも問題はありませんが、この話題の場合しっかり定義することは難しいでしょう。

「真の○○なら××しない」とか「本当の~~なら・・・だ」という主張をする場合には注意が必要です。

自然に訴える議論

『子を成し遺伝子を伝えていくことは生物にとっての宿命であり、自然の摂理である。しかし同性愛はそれに反する。同性愛は不自然なあり方なのである。したがって、同性愛を容認すべきではない。』

「自然」という概念に訴えて主張する意見は、同性愛者批判や先進的な医療テクノロジーを批判するのによく用いられます。

単純化してみると

「Xは不自然である。だからXは(道徳的に)不正である」

「Yは自然である。だからYは許容されるべきである」

となります。

ここで問題になるのは「真の○○」論法でもあった「定義の曖昧さ」です。

「自然である」「自然でない」とはどういうことか、明確ではありません。

もし全体的な数量として多いことが「自然」として「同性愛者は人口の10%未満と少ない。だから不自然だ」と言うなら、10%未満だと、また全体の数量と比べて少ないことを「不自然」とする根拠を示す必要がありますがこれは非常に難しいです。

動物の中での割合として、10%程度同性愛者がいることが「自然」である可能性もあります。

また、「自然」について定義できたとしても直ちに結論を導き出すことはできません。

「子供を殺す」という行為は多くの動物が行うことから「自然」な行為と言えますが、ここから人間社会においてこれが許容されるべきだとは言えません。

「医療行為」に注目してみれば、これは人間しか行わない行為なので「不自然」となりますが、だからといってワクチン接種や帝王切開を禁止すべきだとは言えません。

このように、「自然」という概念を用いる議論には問題が多く付きまといます。

結局、この手の議論は主張するひとの「禁止すべきだ」「許容すべきだ」という直感があって、これを正当化するために曖昧な「自然」という概念を持ってきているということ多いでしょう。

「真の○○」論法と併せて、気をつけたいのは「曖昧な言葉・概念を使わない」ということですね。

定義されていない言葉を用いると、結局堂々巡りになってしまったり感情論に任せてしまったり、建設的な議論ができなくなってしまいます。

ツイッター上でありがちなのが

「普通なら~~しない」「普通は~~する」

という言い方です。

「普通」というのも非常にあいまいな概念です。

その人にとっての「普通」と別の誰かの「普通」は違うことがほとんどですから

あまり良い反論の仕方とは言えません。

対人論法(人身攻撃)

A:学校で生徒が危険な遊びをして怪我をしたとき、学校が監督責任を問われることがあるがこれは子供本人や子供の親のしつけの問題ではないだろうか。学校で何百人もの児童を監視することは不可能だが、家庭内なら十分な時間をとってしつけを行えるはずだ
B:そもそもAさんには子供がいない。子供を持たない人になにがわかるのか。子供をもつ私たちはいろいろやることがあって忙しいのだ。(だから親に責任はない)

ここで問題はすぐにお気づきになるかもしれませんが、Aの主張への反論ではなくAの身の上を取り上げて批判、否定してAの主張を封殺しようとしていることです。

議論の中心は「親のしつけによる怪我の防止の可否」にあるので、Aがどのような人であるかは無関係です。

この対人論法は一方でこのように不適切な反論になりますが、ある他方では適切な反論となる場合もあります。

例えば、ある証言をする人が虚言癖であることを知っていた場合、その人の証言はその人の身の上によって信頼性を失います。

また、専門的な事柄についての主張をその筋の専門家がしている場合、この主張は「専門家である彼が言うのだから間違いないだろう」と判断せざるを得ないこともあります。

ツイッター上では「アニメキャラのアイコンのアカウント」だからと一方的に議論の余地がないと判断されることが多々あります。

「まともな反論をしないアカウントはアニメキャラのアイコンであることが多い」
→「だからアニメキャラのアイコンのアカウントの反論はまともではない」

というもっともらしい論証の上でそう判断されているので、この現状を打破するのは難しいところがありますが、まずは偏見を持たずに投げかけられた意見だけに注目すべきだと思います。

特殊事例に訴える反論

「タバコが健康に悪いというのは嘘だ。僕の祖父はヘビースモーカーだったが大病に罹ることもなく長生きした」

タバコが健康に悪いというのは、非喫煙者との比較や統計調査によって裏づけされた主張であるのでそこに少数の例外を持ち出して否定することには問題があります。

もし「喫煙者は肺がんになりやすい」という主張に対し、「非喫煙者にも肺がんになる人はいる」と反論を受けても、喫煙者のほうがなる確立が高いというのは調査によって明らかになった事実なのでこれも適切な反論とは言えません。

なんらかの傾向や規則についての主張に対して、例外的な事例を持ち出すのは不適切ということです。

この反論がされる主張は、議論する余地もない事実を基にしていることが多いので根本的に反論はすべきでないでしょう。

まとめ

ツイッターではとくに感情論によって反論されることが多いように思います。

もちろんツイッターというものがそもそも「つぶやく」ということがコンセプトにありますので、一概に感情論を持ち出すことが悪いとは言えません。

でももし、相手の意見に対して「何か間違っている気がする」と思って建設的に「反論したい」と思ったならまずは不適切な反論を念頭において

「相手の言いたいことはなにか」「論証として間違っているところはどこか」「具体的にどのように間違っているか」

ということを冷静に理解し、判断することが大切です。


スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする