【形骸化した敬語の必要性】敬語っている?いらない?使わせる方のエゴになっていない? |

【形骸化した敬語を使う意味】敬語っている?いらない?使わせる方のエゴになっていない?

注目記事

日本の敬語複雑すぎ

日本語は世界でも有数の「敬語大国」です。

日本語ほど複雑な敬語表現のある言語はそうありません。

英語の敬語といえば、「Could」や「May」、「Mr.」など『使えば敬語になる』という助動詞・他動詞があるくらいです。

日本語の場合は、丁寧語・尊敬語・謙譲語など敬意の対象によって異なる使い分けをすることが特徴的です。

これは古事記の頃から残る文化です。

もちろんカースト制度がある国で日本よりもさらに複雑な言葉の使い分けがある国もありますが、

相手によって使い分ける「相対敬語」(社内の人には「社長がおっしゃっております」社外の人には「社長が申しております」など)を扱うのは日本だけのようです。

敬語を使う意味

ではここまで複雑な敬語が現代まで残り、使わなければいけないとされるのでしょうか。

本来敬語は、何かものを教えてもう立場である人が、教えてくれる側の人間(能力のある人)に対し

「尊敬しているということを言葉でも表したい」という気持ちから自発的に使われるべきものだと思います。

しかし、「敬語を使う意味」について調べてみると

「損をしないため」だとか「相手を不愉快にさせないため」だとかいう主張が見られます。

非常に残念なことですが、これが現代における「敬語を使う意味」になってしまっています。

「敬いたい」という気持ちからでるものではなく「使えば立ち回りが楽になる道具」でしかなくなってしまったのです。

そして敬語を使われる側も、敬語を使われることに対して優越感を感じるためのものでしかなくなってしまいました。

変容した敬語の意味が生んだ弊害

変容した敬語の意味から感じるのは、「使われる側の快楽」です。

店員と客の関係からそれがよくわかります。

「商品を売ってくれる店員」と「商品を買ってくれる客」

これは難しく考えずとも「Win-Win」「公平平等」の関係にあることは一目瞭然です。

それなのに客側が一方的に「買ってやってる」と上の立場にいると思いこみタメ口を使い

それでいて店員には敬語を使うことを強いる。

このとき店員としても別に「お客様は神様だ」とかいう気持ちは一切なく

「使えば客がいい気になる」から使っているだけです。

スポンサーリンク

この敬語の使い方は非常に無意味で馬鹿らしいですよね。

さらにこの状態の敬語が生む上下関係が発展を妨げるのではないか、という懸念があります。

これは上司部下の関係もそうですし、彼氏彼女のような場合も例外ではありません。

『仲良くしていた年上の男性に敬語を使っていたら「距離を感じるからタメ口で話してほしい」と言われた。』

こんな相談が知恵袋にありました。

年上を強調していることから考えるに、敬語を使っていた年下の女性の方に「尊敬している」という気持ちはなく、「年上だから」ということが敬語を使う大きな理由でしょう。

上司部下の関係で見てみましょう。

上司との議論の場で、現代の敬語は厄介なバリアになってしまいます。

「敬語で提案しなきゃいけない」と思うとそのことにばかり意識がいってしまい、柔軟な考え方ができなくなってしまいます。

友人との会話ならスムーズに反論できるところでも、どのように「丁寧に」主張したらいいのか考えている間に議論は終了してしまいます。

「距離をとる言葉」としての敬語

さらにこの「形だけの敬語」は「距離をとる道具」ともなりました。

「立場が上でも下でも、年が上でも下でも、とりあえずつかっておけば適切な間合いでコミュニケーションがとれる」

会話をする上でこんなに便利な言葉遣いはありません。

一見これはメリットのようにも思えますが、日本人の消極的・内向的な臆病さを助長するものでしかありません。

「いきなりタメ口で話したら嫌われるだろう」という意識さえ生んでしまい、

結局タメ口になる機会を逃して深いコミュニケーションをとれずに終わってしまうなんてこともあるかもしれません。

まとめ:これからの敬語

だからと言って僕は、「敬語を本来の意味で使うべき」とは思いません。

言葉とは常に変容するものですから、現代までで「形だけの敬語」に変化したことは仕方のないことです。

ここまできたらもう敬語なんて使わなくてもよいと思います。

結局良くも悪くも「郷に入っては郷に従え」の文化ですから、敬語にこだわる世代がいなくならない限りなくなるものではないでしょう。

それでも将来的には、敬語を「使わせたい」世代がいなくなったのち

敬語を「使わされてきた」世代が、「敬語なんて使わなくても良い」と言ってくれるような世の中になればと思います。

そういう社会になることで、分け隔てない意見交換ができるようになり柔軟な発想と発展が生まれるのではないかと考えます。


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする