【体育が嫌い、スポーツが嫌い、運動が嫌い・・・】運動させたいなら「運動しない」をさせないといけないんじゃない? |

【体育が嫌い、スポーツが嫌い、運動が嫌い・・・】運動させたいなら「運動しない」をさせないといけないんじゃない?

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物議を醸したスポーツ庁の目標

今日から丁度3ヶ月前にニュースになった、スポーツ庁が掲げた

「スポーツ嫌いの中学生を、5年かけて現状の約半分8%まで半減させる」

という目標を覚えているでしょうか?

ネット上ではこれに対し批判の声が強く、

「強制するな」「余計に嫌いになる」「嫌いで何が悪い」、といった意見が多く見られました。

参考)『スポーツ嫌いダメ?国の目標波紋 「体育の恨み」影響も -朝日新聞デジタル』

僕自身、体育ひいてはスポーツ自体あまり好んでやる人間ではないのですが、スポーツが嫌いというわけではありません。

だからといってスポーツ庁の意見に賛成はできかねます。

健康的な生活を送る上で運動の必要性は非常に高く、特に成長期の子供こそしたほうが良いものであることは周知の事実です。

ですから

「スポーツのことは嫌いでも、運動のことは嫌いにならないでください!」

という目標を掲げることが正しいのではないかと思います。

そもそもスポーツ庁ですから、スポーツを否定することはできないのかもしれませんが・・・。

となるとスポーツ庁なんていう行政機関があること自体おかしいんじゃないかという疑問も浮かんできますが、

この疑問は一旦おいておいて今回は、「子供が運動を好きになるにはどうしたら良いか」

について話していきたいと思います。

小中高の体育の現状

子供が運動、スポーツに触れる機会はやはり体育が主となるでしょう。

つまり「スポーツが嫌いになる原因は体育にある」といっても過言ではありません。

では現在小中高それぞれの体育では、どのようなカリキュラムが組まれているのでしょうか。

小学生

『小学校 体育科学習指導案』によれば

低学年時は体を動かすことが目的となる、おおざっぱな運動が多く

高学年になるにつれ、マット運動や跳び箱、サッカーなど形式の整ったいわゆる「スポーツ」の色が強い運動がほとんどを占めるようです。

ここで注目したいのは、低学年時には行っていた「ドッジボール」をしなくなることです。

これについては後述しますが、僕はこれが「スポーツ嫌い」の原因のひとつであると考えています。

中学生

中学になるとより発展的な、「スポーツ」然としたものだけになってしまいます。

『体力の向上と勉学の源である意欲を養い、協調性もあわせて身につける』という大義名分の下

水泳や柔道、より正式ルールに則った球技を実施し、「スポーツを好きにさせよう」という魂胆が垣間見えます。

参考)『中学校学習指導要領解説』

高校生

実施内容は中学校とほぼ同じですが、体力や体型、経験の差がはっきりしてくるため

成績的には中学のときより大きくムラができてしまいます。

スポーツ嫌いの原因は「どうしようもできない身体的ハンデと経験の差」

運動をするしないに関わらず、身長・体重・体型・体力には大きな差が生まれます。

バスケにおいては身長の高い人のほうが当然有利になりますし、

サッカーや野球では足の速い人にアドバンテージがあります。

加えて、体育以外での経験の有無がそのまま体育の成績に影響してしまうこともひとつの要因です。

サッカー部に入っている生徒が体育でサッカーをやるとなればそりゃあもう、活躍することは目に見えています。

帰宅部で経験の少ない生徒が経験者と同じだけ活躍することは難しいでしょう。

僕のいた中学、高校ではルールさえあやふやのまま試合を開始していました。

「少しパス回しをやって、リフティングをして、じゃあ試合しよう」

これじゃあ好きになるなんて不可能ですよね。

サッカーやバスケ、野球にはそれぞれいるべきポジションというものがあるらしいのに

それをしっかり教えてもらったことはありませんでした。

三塁にいろと言われても役目が何なのかわからないですし、、ろくに練習しないでフライなんて捕れるわけがありません。

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じゃあ練習を積めばいいのか。

じゃあしっかりルールを教えて、ひとつずつ練習をしていけばいいのかというとそれでも好きになることはできません。

前述のように、それぞれのスポーツで活躍できる人は決まっています。

背の高い人、足の速い人、体格の良い人。

限られた人しか活躍できないスポーツをして「楽しい」と思えるわけがありません。

では体育で何をすべきか

ここで登場するのが、「ドッジボール」です。

それから「鬼ごっこ」や「隠れ鬼」、「ドロケイ(ケイドロ)」などの「遊び」に分類される運動です。

なぜこれらがその他の格式ばったスポーツよりも優れているのか。

それは「人によるハンデが少なく」、「その人にあった戦術がある」からです。

適材適所運動

ドッジボール

ドッジボールの思い出を語るとき必ず話題に上がるのが

「端にいてずっと狙われないやつ」

ですよね。

そんな人間を貶すでもなく、誉めるでもなく、ひとつの戦術としてあって然るべきとさえ思っていませんでしたか?

ではサッカーでそんなことをしたらどうでしょうか。

「端のほうにいて動かず、敵が近くに来てもボールを奪おうとせず、パスをもらおうともしない」

確実に成績は悪くなります。

でもドッジボールにおいて、動かないでいる人間はチームの勝利に大きく貢献することができます。

鬼ごっこ

鬼ごっこはやはり足の速い人が有利になる面もあります。

しかし戦術として頭を使うシーンも多くあるのです。

足が遅くてもいかにして逃げ延びるかという戦略を立てる

これほどまでに心技体の融合したスポーツはありません。

かくれ鬼

かくれ鬼は鬼ごっこよりもさらに戦略的思考が求められるスポーツです。

背の高さや経験よりも、隠れる場所のセンスや鬼の思考を読む力が必要となる

勉強に明け暮れる生徒でも、のめりこめるのではないかと思います。

動くことだけがスポーツじゃない

体力があって、経験豊富な人間だけが優秀な成績をとれる教科ではなく、

とりあえず外に出て、知力も活かせる動くだけじゃないスポーツをやらせてあげることが「運動」を好きにさせる第一歩だと思います。

まず「動かない」ことを許容してあげることが重要だと思います。

最終的には動いて、ボールを避けたり、仲間と協力して牢に入れられた仲間を助けにいったりすることも求められます。

しかしそんなシーンでも「俺は足が速いから囮になる。その隙に体格の小さいお前が隠れてみんなを助けろ」

というような役割を分けた協調性を養うスポーツにもなるのです。

柔軟なルール変更が可能

鬼ごっこなら逃走可能エリアはここまで、とか

ドロケイなら檻はここで、既に捕まっていて檻に向かう途中だという嘘を吐くのはご法度、とか

自分たちから進んで「運動を楽しくしよう」と考えることができます。

まとめ

『小学生の昼休みレベルじゃだめなのかね?』

体力の向上はサッカーやバスケじゃなきゃできないものですか?

もちろんマット運動など、普段使わない筋肉を使う競技に関しては体育でやる時間を設ける意義があると思います。

しかしそれくらいなもので、格式ばったルールがあるスポーツは「スポーツ嫌い」にさせる要因にしかならないと思うのです。

スポーツ庁や体育は「スポーツを好きにさせる。興味を持たせる」ということにばかり目がいってしまって

「外に出させる」「体を動かさせる」という根本的な意義を忘れてしまっているのではないか、と思います。

特にスポーツ庁の目標や目的からは

「スポーツ界に進出する若者の増加による経済効果」という目論みさえ考えてしまいます。

もしかすると、子供心にそんな大人の「お金の匂い」を嗅ぎ取って、スポーツを嫌いになることで反抗しようという気持ちが芽生えてしまうのかもしれませんね。


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