【能動的が】生きがいを見つけるたった一つの方法は「吐き出す」こと【生きる意味】 |

【生きる意味は「アウトプット」にある】生きがいを見つけるたった一つの方法は「吐き出す」こと

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生きがいがない

今日日、「生きがいは何ですか?」と訊かれて「これです」と答えられる人はどれだけいるでしょうか。

僕はこのブログを始める前までは「これです」と胸を張って言えるものはありませんでした。

ギターは7年近くやり続けていますが、では生きがいかと言われたら「うーん」と考え込んでしまいますし、

好きは好きだが、なくてもまぁ生きていけるっちゃあ生きていけるし・・・

でもなかったらなかったで寂しい気もするような・・・

そんなどっちつかずのあいまいな答えしかできないくらいに「生きがい」と呼べるものはありませんでした。

しかしいま、「生きがいは何か」と訊かれたら迷わず「このブログです」と答えると思います。

ではいかにしてこのブログが「生きがい」に成りえたか、

考えてみると答えは単純明快で、「吐き出す」ことができるようになったからだということだと思うのです。

くわしく見ていきましょう。

「生きがい」とは何か

まず「生きがい」の定義を考えていきましょう。

「生きる甲斐」つまり「生きていると実感できる、生きるに値する値打ち(価値)」ということです。

「オレっていま生きてんだなぁ!」と思うことができているならそれはもう「生きがいがある」ということになります。

つまり生きがいがない人は「生きていると実感できていない」ことになりますね。

古代を振り返ってみる

いまほどの高度な技術がなく、狩りや稲作をして生きていた時代の人々は何が「生きがい」だったのでしょうか。

おそらくその「狩り」「稲作」をすること自体が「生きがい」だったのではないかと推察します。

つまり「生きるための行為」そのものが「生きがい」と成りえたのです。

「家を建てる」「食べる」ということもそうだったかもしれません。

「今日捕らえた鹿はいつもよりしぶとかったが、何とか捕らえられたぞ」

「昨年は不作だったが今年はなんとかたくさん実ったぞ」

お気づきでしょうか?

これはすべて「能動的」「自分から進んで他に対して働きかけている」行為なんですよね。

現代における古代の「生きがい」

では現代で、それらの「生きがい」はどのような変遷を遂げたか。

すべてが「受動的」「他から受け取るだけ」の行為になってしまっているんです。

「弁当が半額になっているから買おう。入っているもので特に好きなものはないけど、食欲が満たされれば別にいいや」

「大工さんが家を建ててくれた。不動産屋に言われるがまま建てたけど不満はないからいいや」

加えて、そうあることが「当たり前になってしまった」ということもあると思います。

「肉を食べられるは当たり前」

「米を食べられるのも当たり前」

「家があるのも当たり前」

大工さんや農家にとってそれらは「生きがい」足りえていますし、非常に人間らしい営みをしていることに異論はありませんよね。

しかしそんな職業についていない人間にとってそれらは「生きがい」にはならず、

「受け取る」ものであり「当たり前」のもので、「生きがい」ではなくなってしまったのです。

おそらくいま「生きがい」がない人は、就いている仕事も決して楽しいものとは言えず趣味と呼べるものもない、

誤解を恐れずに言うなら「つまらない人生」を歩んでいるのだと思われます。

その「つまらなさ」の原因はすべてが「受動的」「当たり前」になってしまっているからだと僕は考えました。

ではどうするべきか

だからといって大工や農家に転職することは難しいし、抵抗がありますよね。

ここで「生きがいがある」という人の「生きがい」は何かを見てみましょう。

ほとんどが「趣味」を「生きがい」とし、次点で「家族」や「人の役に立つこと」、「目標達成」が挙げられています。

参考)世の中の人は一体何を人生の楽しみに生きているのか!?【生きがい】について

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古代のように「生」に直結するようなことはないにせよ、

これらはすべて「能動的」、自分から進んで行動をした結果が「生きがい」になっています。

「生きがい」がない原因を解消するには「吐き出せ」!

つまり「生きがい」がない人はすべてにおいて「受動的」です。

「言われたことだけやる」

「お金をもらうために働く」

そんな人生では「生きている」とはとうてい実感できませんし、

結局「だれかの生きがいに貢献している」だけの状態でい続けてしまいます。

この状態から抜け出すにはまず「受け取る」から「差し出す」に目的を変えなければいけません。

「インプット」ではなく「アウトプット」

「飲み込む」ではなく「吐き出す」

なんでも構いません。

文章でも、絵でも、音楽でも、言葉でも

自分の思ったこと、感じたことを「形にする」「行動に移す」

そして「他に影響させる」ことが「生きがい」になっていきます。

文章にしたいと思ったら、僕のようにブログを始めるもよし

絵にしたいと思ったなら、とりあえずスケッチブックを買ってくる

音楽にしたいと思ったなら、ギターやピアノを買ってみる。もしくは歌を作ってみる。

言葉にしたいと思ったなら、誰かと話す。議論する。

特に「言葉にする」は重要です。

仕事について不満があるのに下っ端だからと溜め込んで、上司に意見しないのは「生きている甲斐」がありません。

「こういう風にしたほうがもっと効率が良いと思うんですが」

思ったことを口にすることの何が悪いのでしょうか。

正しい根拠のもと、相手を説得できるだけの意見があるのに言わないことが「生きがいがない」原因になっているかもしれません。

「自分の欲望に忠実に、したいと思ったことを行動に移す」

そうするといつの間にか「考えて」、「吐き出す」ということが習慣になり

これが「生きがい」であると呼べるものになっているはずです。

吐き出せない理由

「趣味を始めても途中で飽きたらどうしよう」

「上司に意見して空気が悪くなったらどうしよう」

「能動的」になれない人はいつも消極的で、最悪の事態ばかり考えてしまいがちです。

そんな人が「生きがい」を見つけるにはまず「失敗してもいいや」と思うことが必要な過程になります。

趣味に飽きても死ぬわけじゃありません。

上司と仲たがいしても死ぬわけじゃありません。

そのあとどう対処するかで結果は大きく変わります。

あなたが今、仕事や学校でいやなことがあって落ち込んでいるなら、この「死...

まとめ:「生きがい」は一過性でもよし

とはいってもずっと同じことを考え続ける、やり続けることは難しいと思います。

ですから「いまはこうしたい」という気持ちを大事にして「実行に移す」ことが大切です。

途中でやめてしまって、別の何かに目移りすることは悪いことではありません。

そうしていろんなことに興味を示すようになった時点で、あなたはもう「生きがい」ができて

「オレっていま生きてんだなぁ!」と実感しているはずですから。