日本人とは?定義って必要?狭い視野で考えるのはやめにしませんか? |

日本人とは?定義って必要?「日本が好きだから日本人」じゃだめなの?

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世界で活躍する日本人?

少し前に父がベナン人、母が日本人のバスケットボール選手・八村 塁氏が渡米し、NCAAトーナメントに日本人として初めて出場したことで話題になりました。

さらに有名どころで言えば、ノーベル物理学賞を受賞したアメリカ国籍南部陽一郎博士中村修二博士について「日本人が受賞した」と報道されたことも記憶に新しいですね。

政治的なことでいえば蓮舫氏が二重国籍であったことに言及されていました。

この「日本人とは」「日本人の定義とは」という話題は非常に難しいテーマだと思います。

今こうして書いている間も、この記事を書くことに対しておっかなびっくりな部分もあります。

しかしあえてとりあげたのはこのブログでも何度もとりあげた、「執着しない」ということに大きく繋がる部分があると思ったからです。

僕がこのテーマに対して言いたいことは一貫して「執着しない」ということです。

ひとつひとつ見ていきましょう。

日本国籍の有無

南部陽一郎博士らについて言えば日本国籍を持っていないにも関わらず「日本人」として報道されました。

しかし日本国籍を持っていても日本の伝統を知らず、それどころか日本語も録に話せない人もいるようです。

アメリカでは、二重国籍について特別な決まりを設けていません。

結局国籍は、「その国で生活するために最低限必要な資格」でしかありません。

生まれた国

生地主義(出生地主義)血統主義と呼ばれるものがあります。

生地主義は生まれた国の国籍を有するという考え方、血統主義は親の国籍を引き継ぐという考え方。

日本は血統主義を採用し、アメリカでは生地主義を採用しています。

ですから、日本国籍を有する中国人夫婦が生地主義を採用しているアメリカで子どもを生む場合、その子どもにはアメリカ国籍が与えられます。

なんだかややこしいことになりますね。

日本で生まれたとしても、親がアメリカ国籍を有していれば子はアメリカ人となります。

この二つの考え方がある時点で、生まれた国で何人か定義することが難しいということがわかりますね。

伝統を知っている

お着物を着られない日本人は日本人ではないのでしょうか?

お米を愛し、茶道を趣味とし、日本の古語を研究するアメリカ人は日本人とは呼べないのでしょうか?

伝統や習慣を知っていることを定義とするならおそらく今よりも日本人の数は増えるでしょう。

日本語を話す

これが一番しっくりくる定義であると思います。

南部陽一郎博士は1952年の31歳の頃に渡米するまで日本で暮らしていました。

ですから日本語をある程度どころかペラペラなわけです。

しかし現在はアメリカに帰化し、日本国籍を有していません。

正しい報道をするのなら「日本人」と言ってはいけないと思います。

しかし当の本人はどのように思っているのでしょうか。

「私はアメリカに帰化した日本人」と思っていれば彼は日本人と言えるのでしょうか?

逆に「アメリカに帰化し、英語をしゃべるから日本人ではない」と思っているのなら彼は日本人ではないのでしょうか?

MGSV:TPP

「メタルギアソリッド5 ファントムペイン」という言語をテーマにしたゲームではこんな言葉が登場します。

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人は、国に住むのではない。国語に住むのだ。『国語』こそが、我々の『祖国』だ。
ー エミール・シオラン(ルーマニアの思想家)

このゲームでは「声帯虫(せいたいちゅう)」という寄生虫が登場します。

この寄生虫は特定の言語に反応し、宿主をしに至らしめるという性質を持っています。

この寄生虫を使って「英語以外を話したら死ぬ世界」を創造し、ひいては「思想や意識の統一」を図ろうとする者が現れるのです。

つまり英語を話せばアメリカ的な、日本語を話せば日本的な考え方に染まっていくということです。

この考え方は非常に説得力のある考え方です。

日本語を話すということは同じ日本語を話す人間がいなければ成り立ちません。

日本語には日本語独特の比ゆ表現や言い回しがありますから、結果的に良くも悪くも日本人的な考え方に収束します。

「言葉が人を作り上げる」ということは非常に理にかなっています。

たとえ両親がアメリカ人でも日本の小学校で育てば、その子供は周りの純日本人となんら変わらない考え方をするようになるでしょう。

そんな「日本語を話す目の青い金髪の子供」でさえ我々日本人はかたくなに「いや日本人ではない」と認められないのでしょうか?

まとめ:結局同じ人間である

というように僕は「言語」が何人であるかを決定するという風に結論付けましたが、

実のところそんな定義さえいらないと思っています。

「生まれも育ちも現住所もロシアで、見た目もロシア人だがふとした時に日本について好きになって、日本の伝統や日本語について学んで日本語がペラペラになった」

そういう人間も僕は「そこまできたらもう日本人だ」とも思います。

日本が好きで日本に来て日本で芸人になって一躍有名になった、厚切りジェイソンさんは「日本をもっと良くしたい」という一心で日本で活動しています。

現状の日本の悪い所を指摘する彼のことを「嫌なら来るな」と批判する日本人がいることも事実です。

そんな風に日本を良くしようとする外国人を認められない日本人より、日本を良くしようとしてくれる外国人の方がよっぽど日本人らしいと僕は思います。

結局は皆同じ人間です。

ただあまりにも人口が増え、各地にばらばらに枝分かれしていくにつれ言語も切り離されたというだけです。

学ぼうと努力すれば英語だってロシア語だって話せるようになるし、話せることで現地の人とわかりあうことができます。

「言語」も結局「高度なコミュニケーション手段」でしかありません。

「お前は日本人じゃない」と考えなしに排他的になる前に

「君が日本人だと言うのなら日本人である私と話すことができるよね?じゃあ日本人というものについて徹底的に議論しようじゃあないか」

と話し合いの場を設けて、丁度いいところで折り合いをつけていくことができるのが人間です。

「和を以て貴しと為す」

これは聖徳太子が制定した「十七条憲法」の第一条に出てくる言葉です。

不満があればぶつけあい理解しあうことが本質だということです。

「言葉」があるのだから「議論」もできます。

ただ心の中だけで不満に思っていたり、ネット掲示板で「ああだこうだ」と一方的に主張をして逃げていくようなことではいつまで経っても調和は生まれません。

日本人である前に人間であることを理解し「執着しない」ということを念頭において考えることが肝要です。

これを読んだあなたの価値観が少しでも変わってくれたら幸いです。


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