まだ学校の教科をやる意味わかってないの?国語や数学をやる意味などについて説明する |

学校の勉強をやる意味をどうか理解してください。国語や数学等をやる意味について

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「数学ってなんの役に立つんですか?」

 

こんなツイートが5,000リツイートを超え話題になっています。

学校の教科をやる意味

数学に限らず、学生にとって「学校の教科はなぜやるのか」一度は疑問に持つものです。

その背景には、先生がやる意味をしっかり教えないことだったり、教え方に問題があったりといったことが原因にあると考えられます。

思えば授業に入る前に、なぜこの科目をやるのかしっかり教えてくれた先生は一人としていなかったように思います。

数学で言えば、「普段の生活の中でも役に立っている」ということは、教科書の表表紙や裏表紙の見返しにある数学を利用した建造物などの写真を通して教えてもらったように思います。

しかしだから数学は必要だ、といわれてもそれらに関わる仕事に興味がないからと言われてしまえばそれで終わりです。

こちらの記事でも少し書いているように僕はいかなる仕事に就く場合でも数学、ひいては学校の教科すべては役に立つと思っています。

ことあるごとに先生や親は勉強しろ勉強しろと、口うるさく言ってきますよね...

仕事にとどまらず人間として、地球に住む一種の生物として必ず役に立つものであるとも思います。

というわけで今回は主教科の5科目、それから副教科の3科目についてやる意味・意義について詳しく説明していこうと思います。

国語

国語は単に日本語について学ぶだけの科目ではありません。

国語をやる意義は相手の言っていることを理解し、適切な意見を述べられるようにすることが本義であると思います。

僕が中学2年生~3年生のころの国語教科の担任の先生は、とにかく討論を重要視して頻繁に、というよりほぼ毎回討論形式の授業をしていました。

このときの主人公の気持ちはプラス(正)かマイナス(負)かを考え、なぜそう思うのかを専用の用紙に書き込みます。

そうして班の人と意見交換することを毎回やっていました。

討論の中ではもちろん自分とは異なる意見が多く出てきます。

それは反対意見だけでなく、同じ立場の人間からもです。

同じプラスという見方でありながら、そのように考える理由が異なることもあるのです。

そのような場合にも反対意見を述べることもありました。

小説の見方に答えはありません。

そこに答えを用意するのは問題文を用意する作家ではない別の人間です。

ですから問題を提起した人間がどのように考えているかがわからなければ答えを出すことはできません。

これはなにも国語(小説)のテストに限った話ではないことはわかりますよね。

相手がなぜ怒っているのか、なぜ自分とは異なる意見を持っているのかを理解してから反論しなければ争いは静まりません。

国語をやる意味・意義は道徳と似ていると思うのです。

相手の言っていること、価値観が認められないからと暴力や武力に訴えることのなく言葉で解決できる人間を養うために国語は必要なのです。

数学

高校3年生で推薦入試を受験しようと思っている方は、現在小論文の勉強の真...

こちらの記事にも少し書きましたが、そして相手の主張に反論するためには、正しく筋道立てて話せる必要があります。

その論理的思考を養うのが数学です。

国語では相手の価値観を理解すること、それから反論するための言葉そのもの(漢字やことわざ、慣用句など)を学び、数学ではそれらを用いて適切な主張をできるようにするための思考を養うのです。

数学はどうしても「なんで点Pが動くのか」、「なんで池の周りぐるぐる周ってるの」、「なんで兄弟一緒に家に出ないの」とか問題文をそのままの意味で受け取って、数字を扱うことに抵抗を持ってしまいがちです。

ですから「今自分は誰かを論破するための技術を養っているんだ」と常に思いながら取り組むことが肝要だと思います。

数学は確実な答えを出すために根拠が必要です。

「なんでそう思うの?」「これこれこういうことだから」という思考は数学をやらなければ培うことはできません。

ツイッターではとにかく「誰かを論破すること」が頻繁に行われているように感じます。

自分の意見を自由に述べる場があることはたいへん良いことだと思いますが、その大半が根拠を示さない一方的な価値観の押し付けになっているように思います。

それはやはり数学をやる意味を見出せずおろそかにしてきた人間が多いからではないかと思うのです。

役立つ職業に就く就かないは関係なしに、まずは自分の言いたいことを正しく伝えられる頭を養っているんだということを理解してほしいと思います。

理科(生物・物理・化学・科学)

「理科」という科目は個人的に「仏教」に通ずるものがあると思っています。

たとえば生物

この世には自分たち人間以外にも生物が多く存在し、中には肉眼で見えないものも多数いるということを学ぶのは非常に仏教的観念に通ずるものがあると思います。

自分中心にこの世界が回っているのではなく、むしろ他の多くの存在によって自分が生かされていると知ることは悟りを開く上で重要なプロセスです。

もちろんそこまで達観する必要はありませんが、自己中心的な人間を生まずに、生物多様性からあらゆる価値観の受容ができる人間を増やすためにも生物という科目は必須であると思います。

物理も同様です。

この世に存在する「物」の「理(ことわり)」を知ると書いて物理です。

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今日では当たり前にある、電気や熱もこの物理に含まれる内容です。

そのほか摩擦や重力、引力その他多くの力によって物は存在しているのだという道理を知ることは

やはり生物と同様に自分が生かされているのだと知る重要なテーマだと思います。

化学で化学式を学ぶのも同様です。

あなたは水素水をまだ信じますか?

似非化学を利用した怪しい家電や飲食料に踊らされないようにするのも大切です。

科学で自然や宇宙について学ぶ意味も前述のとおりです。

とかく我々は人類は声を大にして主張した者の意見がまかり通る世の中になっています。

それが決して悪いことだとは思いませんが、そうして上に立ったものにぐちぐちと文句を言うのは無駄だということを理科という科目は教えてくれます。

私たち人間はこの地球という宇宙船の中では新参者です。

新参者でありながらもしかすると今存在する生物の中では一番に朽ち果ててしまう種かもしれません。

そんな種であるということを自覚すると、普段の生活が思い通りにいかないのも「止む無し」と思えます。

この世のいかなる道理を用いても「死」はいつかおとずれるものであると知ることで、争いをすること、優位に立とうとすることは無意味であると思えます。

社会(世界史・日本史・公民)

公民は言わずもがなですね。

経済や政治がどのような仕組みになっているか知らなければ思わぬところで損してしまいます。

税金のことも知らずに働き、年末調整や確定申告に関心を持たないのはたいへんな不利益を被ります。

世界史・日本史をやる意味は、数々の争いの「勝因」と「敗因」を学ぶことにあります。

人類はとにかく失敗と成功の繰り返しでここまで成長してきました。

ですから再び同じ失敗をして貴重な時間を失うのはもったいないことです。

失った時間を取り戻すためには一時間かかるかもしれないし、何十年とかかるかもしれません。

そうならないためにも勝因から成功の秘訣を学んで、さらなる発展に尽力するのです。

これは技術や国のためだけではありません。

あなたが普段の生活で多くの失敗をすることでしょう。でも国や世界規模でみても失敗をするのだから一人の人間が失敗するのは当たり前だとわかれば落ち込むことも最小限に抑えられます。

英語

おそらく学校全体で英語を学ぶ意味・意義は

「グローバル化のため」とかいうことが一般的になっていることでしょう。

でもそんなことを言ったところで「ここ日本だし、海外いくつもりも英語はなさないといけない職業に就く気もない」と思うことでしょう。

ですから僕は英語を完璧に話せるようになる必要はないと思います。

英語を学ぶ意義はこの世には日本語以外の言語も存在し、

ひとつの言語を話せるようになることはどれほど難しいことかを知ることにある、と思います。

今こうして日本語を書いて、話すことができるのが「当たり前じゃねぇからな!」と知ることが大切です。

現にこんなに複雑に入り混じった言葉を話す生物は人間をおいて他にありません。

「ワンワン」とか「ニャーニャー」とかいう言葉でも多少の意思の疎通をしているとは言われていますが、ここまで感情を複雑に言葉で表すことがどれだけ難しいことか知っていますか?

それなのにさらに別の言語を習得しようとするのはそれはもう至難の業です。

幼少期に多言語に触れるとバイリンガル・トライリンガルになることはいまや周知の事実ですが、ずっと日本語で話してきてやっと日本語がまともに話せるようになった小学生・中学生になってから別の言語を学ぶのは非常に困難なことです。

そのことを知り、改めて日本語に興味を持つことが英語を学ぶ意味だと思っています。

副教科

副教科については短くまとめてしまいましょう。

まずは音楽

リズムやメロディ、ハーモニーを用いて音を楽しむ生物も人間だけです。

音楽は言葉に抑揚をつけたところから始まったとも言われています。

ですから英語と同様に言葉というものの偉大さを学ぶためにも非常に重要な科目といえるでしょう。

体育に関してはそのままでしょう。

体の発育のためにはある程度の運動が必須です。

体育がなければ僕はほとんど運動しなかったと思います。

僕は極論ですが、体育でやる運動は鬼ごっことかでもいいんじゃないかなーと思っています。

しかし人間が発展していく中でさまざまな運動の手段を見つけたことを学ぶのもたいへん意義のあることだと思います。

技術については、パソコン教が主となるでしょう。

いまやパソコンはどこに行っても必要なスキルです。

オフィスだけでも扱えるようになっておいて損はありません。

家庭科は言わずもがなでしょう。

一人暮らしをしているとき、玉結びや料理の仕方を知っておいて良かったと思いました。

まとめ:正しい人間の育成方法

結局学校の科目の半分は適切なコミュニケーション能力の向上、半分は人間としての適切な価値観の認識にあると思います。

現代はメディアやSNSの普及で、自己中心的な人間が表に現れやすくなっています。

そのなかで善悪の分別をしっかりつけ、正しい根拠を元に意見を言える人間を増やすためにもっと「学校の教科をやる意味」について知ってほしいと思います。


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